大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)3453号 判決

原告

服部育之介

被告

株式会社都島自動車練習所

ほか一名

主文

被告らは、原告に対し、金三一七万八、五六九円およびこれに対する昭和四九年一月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その一を被告らの負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは、原告に対し、金一、一八七万七、六三四円およびこれに対する昭和四九年一月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四九年一月八日午前一一時一五分頃

2  場所 大阪市北区鶴野町六五番地先

3  加害車 普通乗用自動車

登録番号大阪五一の八九九

右運転者 被告宮田尚章

4  被害者 原告

5  態様 後記二責任原因3(不法行為責任)に掲記のとおり

二  責任原因

1  運行供用者責任(自動車損害賠償保障法三条)

被告株式会社都島自動車練習所(以下単に被告会社という)は、加害車を所有し、業務用に使用し、自己のために運行の用に供していた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告会社は、被告宮田尚章を雇用し、同人が被告会社の業務の執行として加害車を運転中、後記過失により本件事故を発生させた。

3  一般不法行為責任(民法七〇九条)

原告は自転車に乗つて歩道を南から北に進行し、本件事故現場である横断歩道にさしかゝつたのであるが、当時右自転車の走行速度はほゞ人の歩行速度程度であつた。一方被告宮田は事故車(加害車両)を運転して北東から南西方向へ幅員五・一メートルの道路を進行し、幅員一八・五メートル(車道幅員だけでも一二・八メートル)の明らかに広い道路に進入しようとして、本件事故現場にさしかゝつたが、この場合歩道上を通行する人或いは自転車乗りが南から北に横断することは当然に予見できるところであるから、自動車運転者である被告宮田としては自車を一旦停止若しくは徐行運転する等して、左右の安全を確認したうえ進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、進路左前方を注視することなく、道路左端より一・五メートルの至近距離をいきなり左折しようとしたため、原告が自転車に乗つて横断歩道に進入するや否や、加速された加害車両が原告に向つて突込んでくるので、原告は慌てて左方に自転車のハンドルを切つたが、被告車両はなおもそれを追うようにして原告に衝突したものである。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

第一二胸椎、第一腰椎圧迫骨折

(二) 治療経過

昭和四九年一月八日から同年四月二日まで行岡病院に入院、翌四月三日から同年九月三〇日まで同病院に通院、この後原告は同病院の医師から症状固定と診断され、診療を拒否されたので、マツサージの仕事に戻ろうとしたけれども、仕事をすると、背部等の痛みが激しく到底仕事を続けられるような状態ではなかつた。しかし原告には身寄りもなくマツサージ以外に継続的に収入を得るすべもないので、生活にも四苦八苦しつゝ日を過ごしていた。

然るに症状は軽快に向うどころか、行岡病院での医師の言とは逆に根よく治療を受けないと痛みがひどく日常生活上耐え難いものであつた。

そこで原告はマツサージの仕事に直ちに復帰することは断念せざるを得なくなり、生活保護手当の受給手続をとる一方、外科治療の優れた西淀病院の治療を受けることとしたものである。

2  治療関係費

(一) 治療費

昭和四九年一月八日から同年九月三〇日までの分 金五四万三、六〇〇円

(二) 入院雑費 四万二、五〇〇円

入院中一日五〇〇円の割合による八五日分

(三) 入院付添費 一五万五、〇六〇円

昭和四九年一月八日から同年四月二日までの分

(四) 通院交通費 四万一、一〇〇円(地下鉄、バス代)

3  逸失利益

原告は昭和三一年四月に按摩師の、ついで昭和三四年三月にはり師の各免許を取得した技能、経験共豊かな按摩、はり師である。

原告は事故当時月額約二〇万円の収入を得ていたが、本件事故により全面的にはり、マツサージ師としての稼働能力を失つてしまい、現在生活保護を受けてなお通院治療中である。

そこで、事故による休業損害については、公的証明方法を欠くので、賃金センサスによつて算出するに、昭和四九年一月八日から昭和五二年一月二〇日まで(三年と〇・四月分)………五六九万七、一八二円

昭和五二年一月二一日以降五年間にわたつては二〇%宛の減収が見込まれるので、一八七万八、一九二円(一五万六、五一六円×一二×五×〇・二)

4  慰藉料

前記のとおり永年にわたり技能を磨き、経験を積んできたはり、按摩師としての仕事が継続困難となり、甚大な精神的打撃を受けているだけでなく、事故後被告らは原告に対し何等誠実な処置をとることなく徒らに原告を苦境に追いやつてきた。資力がなく身寄りもない原告が本件事故により生活を破壊され、健康被害に対し十分な治療を受けることもできず公的扶助に頼らざるを得なかつたのは全く被告らの責に属することであり、これらの事情を考慮すれば、慰藉料としては、治療期間中に対応する分として金一九五万円、後遺症に対する分として一四九万円を相当とする。

5  弁護士費用 一〇〇万円

四  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

1  自賠責保険金 八〇万円

2  被告らから一二万円

五  本訴請求

よつて請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一の1ないし4は認めるが、5は争う。

二の1は認める。

二の2は過失の点を除き認める。

二の3は争う。

三の不知。

四は認める。

(原告の症状)

原告が本件事故による受傷治療のため最初に入院した行岡病院での治療打切時(昭和四九年九月三〇日)における症状は「第一二胸椎および第一腰椎圧迫骨折部の疼痛、特に体動、動作開始時痛の自覚症を残していた程度」であり、後遺症としても「前記自覚症、腹筋筋力低下を認めたが、これはコルセツト着用による二次的なものと推定され、下肢神経症状は認められず、後遺症の程度も軽く、労働能力は完全ではないとしても可能と判断される程度」であつた。そして同病院では治療打切後元の職に復しているものと考えていた。

原告がその後通院している西淀病院で、昭和五〇年二月六日に上、下肢筋力テストを受けたが筋力低下は認められず、翌七日実施の知覚テストによつても上腕内側左右少し触覚鈍麻ある外、触覚、温覚、痛覚に異常を認めていない。また同月一五日には「企画性振せん」ありと判断されている。

原告は糖尿病、尿路結石症、胃炎、急性腹痛等で西淀病院に入、通院しており、右疾病による各種治療を受けていたことが明白である。しかしこれらは本件事故とは因果関係のないものであり、同病院で昭和五〇年六月一八日以降鍼灸治療を受けているが、その必要性については疑わしい。

(原告の事故前の収入)

原告は本件事故前に得ていた収入額につき公的証明方法を欠くので賃金センサスによるとして、月収金一五万六、五一六円と算出したうえ、休業損害等の逸失利益を請求しておるが、実際の収入が賃金センサスによる金額より高額である場合に賃金センサスによることは差支えないとしても、低い場合には左程簡単に利用すべきではない。

ところで、原告は事故当時別府堂という治療院に勤め按摩をしていたもので、原告の右別府堂における昭和四八年一〇、一一、一二月の各月収は一〇万円ないし一二万円であつた。これは当時のマツサージ代が一回一、二〇〇円で、一日三人か四人の客があり、一か月に二四日か二五日働くとの回答(乙第七号証の一、二)からもその正確性が首肯できる。

従つて、原告の当時の月収は多くても一二万円が限度であつたと考えられる。

つぎに原告は昭和四九年一月八日から昭和五二年一月二〇日まで全く稼働できなかつたとして損害を計算しているが、昭和四九年九月三〇日に行岡病院での治療を打切つた時点で治癒しているのであつて、その後は本件事故による受傷とは関係ないものである。

さらに昭和五二年一月二〇日以降は労働能力二〇%減少として損害を計算しておるが、これも前同様本件事故と相当因果関係はない。

(その主張する症状自体に疑問があることは前述のとおりである。)

従つて原告の請求する慰藉料額も過大にすぎ失当である。

(原告の事故後の行動)

被告宮田は、同僚の石井厳に原告の様子を見聞きして欲しいと頼んだところ、石井は昭和五〇年一一月三〇日に休日を利用して原告を訪ねようとした。すると原告がアパートから午前九時四〇分ころ喜々として出てきたので不信を抱き、同人を尾行した結果はつぎのとおりであつた。原告は扇町より市営バスで梅田に出て阪急電車に乗車して西宮駅で乗替、仁川駅下車、仁川競馬場に入り出走馬表をもらい、スタンドに行つたが直ちにスタンドから出て一、〇〇〇円券売場と二〇〇円券売場で馬券を購入、第三、四、五レース共全くスタンドに入らず、馬券売場と馬券売上速報板との間を往復し、第五レース終了後スタンドに入つたが、すぐに出て五〇〇円券売場で馬券購入、第六レース出走直前スタンドに入り、同じ動きを繰り返して、午後二時八分ころ場内西隅にある阪急食堂で食事後、出走馬表を受取つて一、〇〇〇円券売場で馬券購入し、第九レース出走直前スタンドに入り、同レース終了後帰路に着く。午後五時一五分ころアパートの前まで来たが入らず、東方に歩いて堀川小学校に入るもすぐ出てきて次は扇町高校に入り市長選挙を終えアパートに入る。この時午後六時五分であつた(堀川小学校は選挙会場を間違えたものと思われる。)。

このように原告は稼働能力を全く喪失したと主張しながらわざわざ競馬場まで出かけて競馬を楽しんでいるのであり、この間の原告の行動は全く常人と変りなく、労働能力を一部たりとも失つていない者の行動である。

第四被告らの主張

一  本件事故は原告の一方的過失により発生したもので、被告らには何ら過失はない。

1  事故現場は変則交差点であつて、交通整理も行なわれていないから、同所の通行には一時停止等して左右道路の交通の安全を確認する必要のある場所である。

2  被告宮田は、東から西へ進み同交差点に出てこれを左折し南に進行せんとしていたのであるが、西進して同交差点にさしかゝる際も最徐行し、左右道路の交通の安全を確認したところ、南から北に向う自転車を左前方約五メートルに発見したので、急ブレーキをかけた。

なお左前方約五メートルより以南の位置にある自転車は被告宮田から死角となつて発見不可能である。

3  ところが原告は同所が南から北に下り坂であるためか相当早い速度で自転車をこいできて同所にさしかゝるも徐行せず、被告車にもろに衝突してきて、自己のその勢いで自転車諸共倒れた。その衝突時の勢いは原告が被告車の存在など全く無視していたのではないかと思われるものであつた。原告には元々視力障害があり、事故後の視力は左右とも〇・〇六で、この状態は事故前も同じと考えられるところ、この視力では自転車の一人乗り自体が危険であり、いわば自招行為ともいえるものである。

4  いずれにしろ、被告車が急ブレーキをかけて停車せんとしている所は車道であり、歩道上を自転車に乗つてきた原告はに十分左右の安全を確認すべき注意義務があるのにこれを怠つた過失によつて本件事故が発生したものであることは明白である。

二  仮に被告宮田にも何らかの過失があるとしても、原告には前記の如く重大な過失があるから、損害賠償額の算定にあたり過失相殺されるべきである。

証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4の事実は、当事者間に争いがなく、同5の事故の態様については後記第二の三で認定するとおりである。

第二責任原因

一  運行供用者責任

請求原因二の1の事実は、当事者間に争いがない。従つて、被告会社は自賠法三条により、後記免責の抗弁が認められない限り、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  使用者責任

請求原因二の2の事実は、過失の点を除き当事者間に争いがなく、過失の点については後記第二の三で認定するとおりであるから、被告会社は民法七一五条一項により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

三  一般不法行為責任

成立に争いのない甲第八ないし甲第一二号証、検乙第一号証の一ないし五、検乙第一号証の七、八、原告(第一回)、被告宮田各本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。

事故発生現場は新御堂筋線南行車線(幅三メートルの中央分離帯東側にある一二・八メートルの車線)の東に接して設けられてある歩行者、自転車用道路(幅員六・四メートルあるが西側車道寄りは高架の橋脚があつて使用できない部分がある)と国鉄東海道本線高架下に沿つてある幅五メートルの歩車道の区別のない東西に通ずる道路とが交わる区域内であつて、路面は舗装され平たんではあるが、原告、被告宮田いずれの進行方向からも相手方進路への見とおしは高架下がほぼ直角に建物で遮られているため極めて悪い。

ところで、被告宮田は被告車を運転して時速二〇キロメートルくらいで西進し前記新御堂筋線南行車線を進行するため、事故現場先を左折する予定であつたので、時速一五キロメートルくらいまで減速して事故現場に接近し、自車進路上を横切つている原告進路先になる歩行者、自転車用道路上あたりで一旦停止するつもりでいたそのとき、自車左前方約五・八メートルのところに自転車に乗つて自車の方に接近してくる原告を発見し、急ブレーキをかけたが及ばず自車左前フエンダー部に原告自転車前輪部が衝突し、原告は自転車と共に路上に転倒した。

一方、原告も前記南北歩行者、自転車用道路を北進中、右方に黒い物を認め、見たら自動車だつたので大変だと思い左方に逃げようとした瞬間衝突したこと。

右認定に反する被告宮田本人尋問の結果中の原告を最初発見した時の自車の速度は一〇キロメートル以下で、自車が停止した瞬間に衝突したとの供述部分および被告会社代表者本人の尋問結果は前掲証拠に照してにわかに信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、被告宮田は前記歩行者、自転車用道路から自車進路上に人車の出現することは容易に予測できるところであるから、自動車運転者としてはこれに備え予め徐行し、場合によつては警音器を吹鳴して自車の接近を警告する等し、交差道路左右の安全を十分確認したのち同所先を左折進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、原告進行方向より事故現場を経てなお北方にほゞ直線状に通じている前記歩行者、自転車用道路内に不用意に進入した過失により本件事故が発生したものであることは明らかであるから、同被告は民法七〇九条により本件事故で原告が蒙つた損害を賠償する責任がある。

四  なお本件加害自動車の運転者である被告宮田に右自動車の運行につき過失があつたことはさきに認定したとおりであるから、被告会社の免責(無過失)の抗弁は理由がないことに帰する。

第三損害

1  受傷、治療経過等

成立に争いのない甲第一三、第一四号証、乙第一号証の一、二、乙第一号証の三の一、二によれば、原告は本件事故により第一二胸椎、第一腰椎圧迫骨折の傷害を受け、受傷当日の昭和四九年一月八日から同年四月二日まで大阪市北区内の行岡病院に入院(八五日間)、翌日より同年九月三〇日までの間に実通院治療四五回の後、右通院最終日を以つて骨折部に疼痛(体動時、動作開始時痛の自覚症残す。背臥位から起上る時痛む、また長時間同一姿勢でいると痛みが増強する)、外に腹筋筋力低下(これはコルセツト着用による二次的なものと考えられる)の後遺症を残し、症状固定と診断されたことが認められる。

つぎに成立のない乙第一号証の一、二、乙第一号証の三の一、二、乙第二号証の一ないし一四、乙第三号証の一ないし二二に原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、原告は右行岡病院での治療打切の際、医師から仕事をしてもよい、背中が痛いのは日が経てば治ると言われていたので(この点は医師の側も後遺症の程度は軽く、労働能力は完全ではないとしても可能と判断される程度であると考えていた)、元のようにマツサージ、按摩の仕事を始めたが、二か月程経つた頃から朝起きる時背中が痛くて起上れないことがあつたものの、どうにか仕事ができたので、さきの医師の言もあつたことゝて同年末日までは同様稼働してきたところ、正月休みの一週間が過ぎた頃から痛みがひどく、続けて仕事に行けなくなり、仕事に行つた後続けて何日か寝ていたりしていたが、遂に昭和五〇年二月六日に至り、大阪市西淀川区内の西淀病院に通院して治療を受けることとなり以来昭和五二年一月二〇日までの間に二六〇日間通院治療(この間の治療内容は通院当初から同年七月一〇日までは主として整形外科的機能訓練の簡単なものとマツサージ施行、同月一二日から昭和五一年一月一〇日までは主として鍼灸、翌日より同年二月四日までは再び通院当初同様の治療方法を施していたが、同日以降は定かでない)を受け、同日症状固定との診断があつた(もつとも右治療期間中にあつても、昭和五〇年二月二五日から同年四月一五日までの間に原告は糖尿病の疑いで血糖検査等を受け、同年三月中旬には別に胃の透視検査を受け、さらに同年七月二四日から八月三日までは急性腹症―尿路結石症で入院治療を受けた)こと、

而して右症状固定時における後遺障害の内容は、成立に争いのない甲第一七、甲第一八号証によれば、自覚症状として激痛はないが、体位により疼痛がでる。疼痛部位は骨折部およびその週辺部と腰仙部で、立位保持と同一姿勢の保持が短時間しかもたない。他覚所見としてはまずレントゲンで第一二胸椎、第一腰椎に圧迫骨折による扁平化が認められ、これは初診時に比し変化なし。前記圧迫骨折に起因する腰椎の生理的前湾の減少を認む。触診結果では第一二胸椎、第一腰椎棘突起上および脊柱部に軽度の圧痛、腰仙部に圧痛、腰椎の前湾減少、骨折部の後湾が認められる。これらの症状ないし障害が就労に及ぼす影響は圧迫骨折部中心に脊柱に後湾増強があるので体重の重心線がやや前方に移動していると考えられ、歩行は長距離でなければ可能であるが、不自然な姿勢で力の入る作業(例えばマツサージ)は腰に負担がかゝるものと考えられ、軽い作業は短時間ずつ断続してなら可能ではないかと思われるが、同時に筋力の回復も必要であるとの医師の所見であることが認定できる。

(尚被告らは西淀病院での鍼灸治療の必要性を疑問視するようであるが、原告の背腰痛の原因が第一腰椎圧迫骨折に起因する脊柱生理的湾曲の変化に伴う腰仙部への体重、荷重の変化にあることが前記甲第一八号証により認められる以上、右治療も原告の疼痛緩和のため有効、適切な処置であつたと認められる。)

2  治療関係費

(一)  治療費

成立に争いのない甲第一五号証および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は本件事故による受傷治療のため昭和四九年一月八日から同年九月三〇日まで大阪市北区内の行岡病院で加療し(入院八五日、通院四五日)、この治療費として金五四万三、六〇〇円を要したことが認められる。

(二)  入院雑費

原告が八五日間入院したことは、前記のとおりであり、右入院期間中一日五〇〇円の割合による合計四万二、五〇〇円の入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができる。

(三)  入院付添費

被告会社代表者高士茂尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告は前記入院期間中付添看護を要し、その間合計一五万五、〇六〇円の損害を被つたことが認められる。

(四)  通院交通費

成立に争いのない甲第一五、甲第一八号証に原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨を総合すると、原告は前記通院のため行岡病院へ四五回分の地下鉄料金として四、五〇〇円、西淀病院への二六〇回分のバス料金として三万六、六〇〇円(この方は通院当初八〇円から途中順次値上げ等で一八〇円にまで変更があつた)合計四万一、一〇〇円の通院交通費を要したことが認められる。

3  逸失利益

(一)  休業損害

成立に争いのない甲第三、第四号証、甲第五号証の一、二に原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、原告は昭和三一年四月に按摩師、ついで昭和三四年四月にはり師の各免許を取得し、本件事故による受傷前は大阪市北区内の別府堂に按摩、マツサージ師として勤めていたが、右受傷後はさきに治療経過の項で詳記したとおり行岡病院での治療を終えた昭和四九年一〇月以降同年末まで稼働したのみで、その後は腰痛等がひどく生業であるマツサージ業が出来ず収入が得られないため、昭和五〇年二月三日以降は生活保護を受給しつゝ今日に至つていることが認められる。

そこで、本件事故により原告が蒙つた休業損害についてみるに、成立に争いのない乙第七号証の一、二と原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告の本件事故前の収入は一か月間のうち二四~二五日稼働して少なくとも一二万円の収入を得ていたものと認められるところ、行岡病院において治療を受けていた昭和四九年一月八日から同年九月三〇日までの間については失つた収入額の一〇〇%、その後三か月程稼働の後休業せざるを得なくなつた昭和五〇年一月以降昭和五二年一月二〇日まで(但し成立に争いのない乙第四号証の一ないし二〇により本件事故による受傷と関係のない疾病により入院加療したことが明らかな昭和五〇年七月二四日より同年八月三日までの一一日間を除く)の間については、現実には原告がマツサージ業その他により何らかの収入を得たとは認め難いが、行岡病院の医師は通院治療を終え原告に就労させるに当り、前記のとおり後遺症の程度は軽く労働能力は完全ではないとしても可能と判断される程度と考えていたこと、つぎに西淀病院における治療内容も前認定のとおり主として物療と呼ばれるもので、通院頻度もおおむね月平均一二日程度であること(乙第二号証の一ないし一四、乙第三号証の一ないし二二)、原告はこれまでマツサージ、按摩以外に他の職に就いた経験がなく、しかも現在視力も減弱している(乙第二号証の一、二および原告本人尋問の結果―第一、二回)のでにわかに原告本人の努力、工夫によつて何らかの収入を得ることは容易ではないことは理解できるものの、さりとて前記行岡病院の医師の就労に関する意見に後の西淀病院の医師のこれに関する意見をも合せ考えると、西淀病院での治療期間中にあつても何らかの収入を得る方途を見出すことは強ち不可能とは言えず(現に原告は腰部を中心とした疼痛持続のため生業であつたマツサージ業が継続困難というのであつて、職業生活を除いた日常生活(込みいつた場所でなければ杖なしで歩けるし、歩行自体にはさしたる支障はなく、読書もできる―原告本人尋問の結果第一、二回)には特段の障害はない)、そこには行岡病院の医師の指摘する原告の神経質で病気に対する現状理解に乏しく、気力に欠けるという個人的属性(乙第一号証の一、二、乙第一号証の三の一、二)も相当影響していると考えられること、このことは行岡病院での治療打切後身体を復調させるため徐々に仕事を増量すべきであるのに、可成り性急に事故前のような稼働状況に移つておる(原告本人尋問の結果―第一、二回による)ことにも現われており、体調に好ましい結果を与えなかつたものと推認されること等の諸事情を彼比勘案すると、この間に失つた収入についてはその四〇%についてのみ本件事故との間に因果関係を認めるのが相当である。

そうすると、原告が本件事故のため失つた収入は金二〇九万八、八三八円となる。

(昭和四九年一月八日から同年九月三〇日まで

昭和五〇年一月一日以降昭和五二年一月二〇日まで(うち一一日間は除く)

この合計金二〇九万八、八三八円)

(二)  将来の逸失利益

原告本人尋問の結果(第一、二回)および前記認定の受傷並びに後遺障害の部位程度(自賠責後遺障害別等級第一一級相当程度)によれば、原告は前記後遺障害のため、昭和五二年一月二一日から少くとも四年間、その労働能力を二〇%は喪失するものと認められるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すること、一〇二万六、五一八円となる。

(算式 一二万円×一二×〇・二×三・五六四三=一、〇二六、五一八円)

4  慰藉料

本件事故の態様、原告の傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、年齢、親族関係、その他諸般の事情を考えあわせると、原告の慰藉料額は金二四四万円(行岡病院で治療中を対象に七〇万円、西淀病院での通院治療中を対象に二五万円、後遺障害に対し一四九万円(自賠責後遺障害別等級第一一級相当)と算定合算した)とするのが相当であると認められる。

第四過失相殺

前記第二認定の事実によれば、本件事故の発生については原告にも東西道路に出る前に一旦停止する等して右方(東方)からの交通の有無を確認して進入すべきであるのに、これを怠り漫然と同所を通過しようとした過失が認められる(そのため相手車に気付いた後も慌ててしまいブレーキもかけず衝突した)ところ、前記認定の被告の過失の態様等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として原告の損害の四〇%を減ずるのが相当と認められる。

第五損害の填補

請求原因四の事実は、当事者間に争いがない。

よつて原告の前記損害額(金三八〇万八、五六九円)から右填補分九二万円を差引くと、残損害額は二八八万八、五六九円となる。

第六弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は二九万円とするのが相当であると認められる。

第七結論

よつて被告らは各自、原告に対し、金三一七万八、五六九円およびこれに対する本件不法行為の翌日である昭和四九年一月九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 相瑞一雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例